11月26日 支部オンラインシェアの報告

日本=11/26 午後1時、バンクーバー11/25 午後8時、メンフィス11/25 午後10時
山梨:ナオミ&ルツ 香港:アビゲイル 甲府:マリア メンフィス:ダビデ バンクーバー:ハンナ
司会、始めのお祈り:ルツ

マリア:
クリスチャンを迫害をしていたパウロを許しくれたようにヤコブと戦った時に神様が負けてくださったように、全知全能であり、全てのものの上にある方が、被造物である人間のために、歩み寄ってくださったその愛の大きさに驚いた。 パウロが第一コリントの9章で “私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。 ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです。 弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。” これからも学ぶように、自分は、イエス様にあって、イエス様と同じものを頂いているが、だからといってえらぶったり誇るのではなく、裁くのでもなく、イエス様が罪人であった時に受け入れてくださったように私もそういきたい。

ダビデ:
メッセージから喜びの大切さが自分に適用できた。自分自身が喜んでいなければ、神様が私といつも共いて働かれている事が伝わらない。それでは使節として遣わされるという意識が有っても実質が現れない、他の人たちと同じ生き方になってしまう。喜びは自分でする事と教えられているので、自分を見たりして喜べないような時に「喜べ!」と自分に言い聞かせていく。

アビゲイル:
今日の礼拝は、単純に神様に感謝して喜んでいた。来年、定年年齢60を迎えるが、延長雇用が無いことが、先週はっきりした。これまで神様が支えてくださっていたことを感謝し、また定年後も祝福してくださることを信じ感謝した。礼拝終盤で、人との和解という話で思い出したのが、先々週、定年退職し、日本に帰国した元同僚が会社に来た。実は、彼女には、伝道したことがあるのだが、受け入れず、彼女の方では、私の事をダメな上司と常々思っていたようで、その伝道の後、私たちの関係は悪くなった。彼女が来ることに、気の重さを感じていたのだが、会って「私も来年は、定年だよ。でも、その後も香港に居るつもり。」と話をしたら、「東さんが居るなら、また香港に遊びに来ます。」と言ってくれた。私もヤコブのように、エサウとの和解は成り立たないのでは?と恐れていたんだと分かった。自分の方で、”彼女は受け入れなかった。私を嫌っている、だから私も嫌いだ!”という気持ちもあったのだと思う。
自分が赦されたように、全ての人を許し、受け入れていく。

ハンナ:
今週は悪寒やら頭痛やらありました。が、リーダーズ会の恵みはUnlimited乗り切ることができました。また弱い人に弱くあれというパスターの言葉が、印象に残りました。社内で、スタッフに寄り添いましょうという話がでたばかりでした。出来ないという意見があがり、互いに寄り添うことを学んで行こうと、マタイ22:39を送りました。その部分については、返事はいただいてません。

ナオミ:
ここの所、家もパタパタしており、クリスチャンなのにと言う思いがありました。本日のメッセージにあった、神様がして下さった事を思い出す事も出来ずでした。この状況でしたので、こんしはダウンをしてしまい反省をしました。知人で悩んでいる方がいるので、トラクト、カードなどを届けます。

ルツ:
今週、家でも仕事でもトラブルが多かったですが、そういう時は神様に全てのことを預けられていないことに気がついきました。今日のメッセージから、神様との和解について伝えていきたいです。また、これまで神様が自分にしてくださったことは本当にたくさんあるので、そのことも伝えていきます。

お祈り
これまで神様がしてくださったことに感謝をしてお祈りいたしました。
聖書:テサロニケ人への手紙第1 5章16節~18節

最後のお祈り
ダビデ

(山梨支部・婦人)